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2008.07.09 (Wed)

KY or 個性

なんていうタイトルだか忘れましたが、最近「KY(空気読めない)」のことについても語っている本が出ていました。そういうことについて書いてある本はいくつもあると思いますけど、「KY」が一般的な言葉としてけっこう通じるようになった今では、「KY」と言われている時点で、ダメな奴、イケてない人のような印象すらあると思います。

「空気が読めない」というような暗黙のルール的なことは、中国人の間ではあまり無いように思います。上海に来てからそういう雰囲気を感じたのは1度もありません。そもそも空気を読むと言うのはどういうことでしょうか。単純に言えば、「言わなくてもわかれよ」とか、「雰囲気壊すようなこと言うなよ」ということでしょう。つまり、ある集団の中にいた場合、その場に居合わせてしまうことで、その集団の現在進行中の一体感というか会話の流れや雰囲気を、違う方向に持っていこうとしてはいけないということです。

もちろん、会話を途中で断絶させて、一人よがりな方向へ持っていこうとすることはよくないですね。そういう人は確かにいます。また、そこまでしなくても、「KY」と呼ばれる行動には、もっと軽いものも含まれ、少しでも集団との歩調を合わせないときは、瞬時にこの「KY」の出番となり、「お前空気読めよ」となります。

10人集まれば意見をまとめて協調することが大切。でも、それは協調であって同調ではありません。みんなで意見を出し合いながらも協力して前進することが協調です。同調は自分の意見を言わずに、他者との議論を避け、自分の考えを抑えて相手に合わせること。頭ではあまりよくないということがわかっていても、日本人は周囲に同調してしまうことが多い人が、わりと多いんじゃないかと感じます。

逆に、普段「KY」ではない人からすると、「KY」な言動をする人たちというのは、集団に意見に同調しない反乱分子なわけですが、このとき、反乱分子は個性的だという見方もできます。しかし、ここからが本当の「KY」と良い意味での個性的な人との違いがでるところでしょう。でも、何が「KY」と個性を分けるのでしょうか。ある人が発言をしたときに、「KY」とは下記のような要素で決まってくると思います。まあ、あんまり考えないで発言すると「KY」になりやすいってことですよね。

KY

それは、その時に自分というものがあるか無いかだと思います。一見「KY」な発言をしたとしても、その人の目がはっきりしていて、よく聞けば言っている内容がそれなりのものだとしたら、やはりそれは「KY」ではなく個性が出たということです。もちろん、日本では出る杭は打たれる文化が半端なく強いですから、個性であっても周囲に受け入れるだけの器が無ければ、ただの「KY」だと評価されてしまうでしょう。もちろん、日本でのことですから、周囲に受け入れられるだけの器が無いときは、そこを考えて自分の言動をオブラードに包んだり、形を変えたりさせることも必要でしょう。もともと「KY」とは自分の評価ではなく、他人からのというか他人への評価ですから、「KY」だと言われれば、流れ的にもその場では「KY」になってしまいます。

しかし、一見「KY」的発言だとしても、周囲が理解ある人の集まりのとき、個性は発揮され、その集団の充実度は素晴らしいものになると思います。私も「KY」的言動は多少気をつけていますが、そんなことお構いなしに行動することもときにはあります。それで、多少周囲から冷ややかな目で見られたとしても、陰口を叩かれたとしても、それはそれでいいんです。陰口は叩くほうが損ですし、全員の好意をもらおうとは思っていません。

「KY」に対する人々の思いというのは、その場の雰囲気を壊したくない、ということももちろんあるでしょうが、また違う部分も気にしているんだと思います。「KY」が日本文化でもあるかのような状況になってきた昨今、これがまた日本人らしいところですけど、「KY」をいつもいつも気にしているような人というのは、自分に非難が来ないようにするためではないでしょうか。

誰しも自分が可愛いものですけど、自分の意見を言うこと、自分の考えた行動をとることで、集団の基準からはみ出し、「KY」の烙印を押されることを恐れているのだと思います。もしそれが、よく考えた結果の言動なら、誰の意見にも惑わされること無く実行すればいいと思います。それで、「KY」と言われたっていいじゃないですか。どうせ、そういうことをすぐに口にする人というのは、自分では何もしようとしない人じゃないかと思います。「KY」とは、一人で一匹狼な行動をしないようにさせる、暗黙の集団均一化ワードでもあるんじゃないかと思いました。つまり、出る杭を打つ、現代の新型自動杭打ち機のような。

いつも「KY」を気にしていると、個性が薄れていく可能性もあります。そういえばどっかの著者も「KY」と個性の関係を書いていましたね。その場だけですが「KY」は個性を無個性化させるチカラがあるでしょう。「空気を読め」とは一般的によく言われる言葉ですね。そういうことが必要なときもありますけど、多くの場合、他者への同調にすぎません。「KY」に対し、そこまで意味を考える人は少ないと思いますけど、本当の「KY」と、個性の発揮は違うということを認識することは、日本人の「KY」呪縛を少しでも解くキーポイントだと思います。

空気読むことってそんなに重要でしょうか。空気を読むことに気を取られていたりする人というのは、自分というものがあまりないんじゃないでしょうか。自分の発言は場を乱さないか。こんなことを言ったらどう思われるか心配だと考えるあまり、集団の空気がスムースに流れるように自己抑制をするのでしょう。ときには必要ですけど、個性の言動が必要なときもあります。そういうときにでも、集団から、やれ「KY」だとか「空気読めよ」とか言われる場合もあるでしょう。自分でも「KY」なのかただの個性なのかわからないときもあると思いますが、そんなことを気にして周囲の評価ばかりにビクビクしていたら、どんどん人間が小さくなります。

こういう話をすると、中国人の友達は口を揃えて「日本人は大変だね」と言います。「疲れそう」とも。日本に住んでいる日本人は、こういうことで疲れている人もけっこう多いでしょう。私もそういうときはありました。実際、日本に住んでいると、色々気を使うことはたくさんあります。「KY」なんて気にせず、気の使いようもほどほどにすれば、どこにいたって気楽に過ごせるんじゃないでしょうか
00:08  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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