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2009.04.19 (Sun)

上海での日本人模様

上海に来てから1年4カ月が過ぎた。
この間に多くの人と会い、様々な経験をさせてもらった。中国人・日本人・欧米人と、文化の違いや考え方の違いを学んだ。しかし、意外にも面白いのが日本人だったりする。同じ国の人間なのに、上海にいる日本人は面白い人が多い。それは、彼らが日本で一般的に言われる「普通」という枠から飛び出した経験を持っていることが多いことに起因するものだろう。

「普通」から出ること。それはとてもいいことだと思う。もちろん、「普通」のことがだいたいはできる前提なわけで、ほとんどの人が「普通」も経験してきただろう。しかし、世間で「普通」と言われる範囲で安心し、満足して輝けるという人はいないのではないだろうか。確かに、自分の決めた基準をある程度満たせば満足するだろうが、日本での「普通」とは極めて範囲が狭い。

上海にいる日本人の人間性ももちろん様々で、その付き合いの中で、楽しいこともあれば苦いようなこともある。そのへんはどこの国へ行ってもあまり変わらないのかもしれない。私はこの上海でも、人とのつながりを最重要視して活動しているが、それはビジネスでもプライベートでも同じで、なにもビジネスだからと言って、ビジネスが終わったらその人とも縁を切るなんてことはしない。すべての人と交流するのは無理だが、ご縁がありそうな人とは仲良くさせていただくようにしている。

相談したいときに聞いてくれる人。アドバイスをくれる人。人を紹介してくれる人。色々な人が私との縁を大事にしてくれている。もちろん私もみんなとの縁を大切にしているし、これからも多くの人と会っていきたいと思っている。ときに助けられ、ときにこちらも協力し、そういう人たちがいるからこそ、この上海で心身ともに元気に活動できているということを忘れてはならない。

かたや、そういう関係にはなれなかった人も少なからずいる。やはり様々な人と会っていると確率的には仕方のないことかもしれないが、その都度、少し残念な思いをさせられる。日本人は建前を好んで使う人が多い。特に仕事上ではそれは処世術のひとつとしてアリかもしれないが、この上海で思い切り建前でやられるととても残念な気がしてならない。

私の中国人の友達や知り合いには建前でやり過ごしたり、交流の場から自ら逃げる人はほとんどいないが、日本人には意外と多い。「どうせ海外だから」とか、「会うこともないだろうし」といったことを考えているのかもしれないが、世の中はけっこう狭い。そういう場合、私にとって相手の印象はどうしたって悪くなるが、私は別になにもしないし、特に言うべき機会がなければ口外したりもしない。もちろん場合により、私の仲間に嫌な思いをさせないために伝えるときもあるだろう。

上海にいる日本人同士の連帯感は強い傾向にあると思う。それは他国の場合もそうかもしれないが、外国にて同じ国の者同士、できれば仲良くやりたいというのは多くの人が思っているからだろう。それは私も同じだ。だからと言って、いい人ばかりでもないし、上海にいる日本人は不信感の塊のような人はそう珍しくない。まあ、中国でビジネスをやっていると、その気持ちはわからないでもない。

でも、同じ日本人を信用できないというのは悲しいこと。だが、この上海で相手を信用しろというのもまた難しい話かもしれない。それ以前に、ビジネスばかりで、人としての交流をしようという考えの希薄な人がけっこういることもわかってきた。目的は人によって違うから、行動も違うのは当たり前だが、初めからモロに建前ばかりの人には閉口するしかない。

そういう建前大王のような人は、自らの範囲を狭めてしまっているはずだ。私や私の知り合いからも枝分かれして人脈が広がっているわけだし、私のところで完全に止めてしまうのはとても寂しい感じだ。そういう人というのは、他の機会でも建前を使うことが多いはずで、自分の視野を自ら狭くしている可能性が大いにある。

建前はビジネスのときにはうまく使えばいいときもあるが、人との交流のさいに使うというほど、お互いにとって寂しい使い方はないと思っている。本人はそんなことどうだっていいか、そこまで考えていないだけなのだろうが、どちらにしてもとても寂しいこと。そもそも、ビジネスだって人間のコミュニケーションなわけで、人と人との会話だ。

上海という狭いフィールドでさえ、一期一会を大切にしようという気持ちがないのなら・・・、なんだろう?私の友達にはそのような人はいないので、どうも理解できない。そこまでとなると人の勝手だから仕方ないか、ということできっといいのだろう。そういえば以前にも、ある日本人でそんな人もいたが、その人は狭い範囲で人間関係を形成していたのが印象的だった。その中では自分の存在が確認できるようだったが、私の知っている範囲でも、他の人に対して心の内は見せない閉鎖的な感はあった。

私も、上海でも日本でも色々な友達がいるが、すべての人と平等に付き合うことはできない。それはもちろん時間は限られているからだ。しかし、建前で人と接するなんてことはほとんど無いし、あったとしてもお互いにビジネスのみの場でだけだ。建前というのは本当にくだらないことだし、それこそ時間の無駄だ。だからこそ、人としての交流のときに、建前人間と接すると、その人に失望せざるを得ない。なぜなら、建前という城壁を作ることで、その他の会話でも距離を縮めることが難しくなるからだ。

私もヒマで人と付き合っているわけはない。人と接することでお互いに良いエネルギーを得られることが最善だ。だからこそ「建前城」という虚しいお城の中でやり過ごそうとしている人にはプラスパワーを感じることができない。つまり、建前というのは人間関係を発展させないための最大の武器のひとつであると言えそうだが、それだけに諸刃の剣でもあるのだろう。

発展させないと同時に、建前を使うほうはそれ以上に発展することができない。使われた方は、以降その人のことを「そのような人」だと見てしまう。となれば、「そのような人」は前向きな人脈リストからは外れるから、ご縁のないリストに入ってしまい記憶から遠ざかる。そういう忘れられてゆく存在になるという選択を自らするということが、建前を使うことの大きなデメリットでもあると思う。だからこそ私は滅多に使わない。

私は知り合った人との関係は大切にしたいと思う。たまにマイナスパワーばかりを発している日本人と会うこともあるが、ビジネスでも普段の飲み会でも、そういう点はすぐにわかる。私も事業を始めたばかりでやることが多いが、人と会う時間を取るということは重要だ。相手のアクションに応えてあげることなくして、ビジネスも人間としての成長も本当の意味では無いのだと思う。


■上海もたまに青空が広がるときがある。こんな青空のようなさっぱりした気持ちで人と付き合いたいもの。 /上海科技館近くにて
上海浦東の晴れた空
20:08  |  未分類  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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